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沿革

川崎子ども夢共和国事業からオープンまで

川崎市では、1984年から2年間にわたり、市民・教職員・行政職員による教育市民討議が行われた。それらの意見をもとにして川崎市教育懇談会は、1986年に、川崎の教育のあり方を探る提言集「いきいきとした川崎の教育をめざして」をまとめた。その中で、子どもたちによる自治を体験する「子どもふれあい村」構想が提案された。

国際連合は、1989年に「子どもの権利条約」を採択し、川崎市でも、地方自治体レベルで、1994年に「子ども議会」の開催や1995年からは地域教育会議の中に「子ども会議」を設置、1996年には全市的な「川崎子ども人権集会」の開催など、子どもの意見表明や社会参加を保障する機運が熟してきた。

1997年には、子どもの視点を中心にした取り組みを中心にした取り組みを基盤に、子どもの意見表明権や社会参加の場を保障するとともに、子どもたち自身が豊かな交流を深める「川崎子ども夢共和国事業」が行われた。そこでは、「子どもの、子どもによる、子どものためのまちづくり」のための、話し合い・活動し・提案していく活動を5年間実施してきた。

その間、人権尊重と平和、多文化共生を基底にすえた川崎の施策の中に、こうした子どもたちの積み重ねてきたものを、「子どもの権利」として保障し実効性のあるものにしようと、1998年9月に「川崎市子どもの権利に関する条例」の策定作業がスタートした。

この条例づくりは、日本で最初の子どもの権利に関する総合的な条例をめざし、市民であるおとなと子どものパートナーシップで取り組み、約2年半近くかけて条例案をまとめていったものである。そして、2000年12月川崎市議会において全会一致で可決成立し、2001年4月より実施された。

川崎市子どもの権利に関する条例を実現するための施設として、2001年1月に、「仮称 子ども夢パーク」の設置が発表された。  それを受けて、2003年度の供用開始をめざして、「仮称 川崎子ども夢パーク推進委員会」が設置され、夢パーク整備に関わる基本構想及び基本計画の策定に着手した。

一方、公募で募ったおとなと子どもで構成する「運営準備会」では、子どもとおとな、行政との協働事業として、ワークショップやアンケート等を行い、特に、子どもたちの意見を尊重した検討がすすめられ、「子どもの自由な発想で遊び、学び、つくり続ける施設」を基本理念とした「川崎市子ども夢パーク」が形づくられた。 2003年4月、川崎市子ども夢パークの管理運営を財団法人 川崎市生涯学習振興事業団が川崎市教育委員会から受託し、7月23日に、市内5番目の青少年教育施設として、オープンした。

その後、2005年4月1日から川崎市教育委員会の直営となり、2006年4月1日から5年間、指定管理者制度が導入されたことにより財団法人 川崎市生涯学習財団とNPO法人フリースペースたまりばが運営共同事業体となって管理運営を行っている。